ポール・アレン氏による戦艦”武蔵”の発見は、なぜ凄いのか?
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概要
マイクロソフトの共同創業者ポール・アレン氏が発見した戦艦”武蔵”が、フィリピンのシブヤン海にて発見されたのが連日話題になっていることはご存じのことだろう。近年では、ゲームコンテンツなどでミリタリーへの関心も高まってきている。そのため、武蔵がどういった艦船なのか多少なりとも知っている人はいるだろう。
しかし、ミリタリー知識や日本史の知識があまり無い人には、武蔵の発見の一体何が凄いのか?と思うのではないだろうか。
今回は、その武蔵の簡単な紹介をしよう。
戦艦”武蔵”の艦歴
戦艦”大和”のことを知っている人は多いだろう。アニメ「宇宙戦艦 ヤマト」の元ネタとして広く知られる大和、その姉妹艦として戦艦”武蔵”は1938年(昭和13年)に起工され、2年後の1940年(昭和15年)に進水し、正式に命名された。
武蔵の建造は大和と同様に極秘に行われ、造船所では膨大な量の”シュロ”という植物の葉をすだれ状にした目隠しが全面に張り巡らされた。
付近の住民からは「オバケ」や「魔物」と呼ばれていたようだ。
厳重な管理が行われ建造された武蔵は、当初1942年12月完成予定だったが、工期を大幅に繰り上げるよう厳しく督促され、技術者達の超人的な努力により同年6月に完成した。
これが、日本が建造した最後の戦艦であるとされている。(今後発見される資料次第では、変わってくる可能性があるため)
武蔵建造後の1943年(昭和18年)に武蔵は、連合艦隊司令長官「山本五十六」が戦死したため、その遺骨の回収に向かう任務にあたり、トラック島から横須賀へ帰還する。
その後は各地を転々とし、1944年(昭和19年)のレイテ沖海戦に参加する。
そして、10月24日アメリカ海軍機の攻撃により、推定雷撃20本、爆弾17発、至近弾20発以上という猛攻撃を受けるも復元可能な状態にあった。
アメリカ軍では、爆弾命中44発、ロケット弾命中9発、魚雷の命中25本、総投下数161発中命中78発と記録さえている。
しかし、船体前側に多数の魚雷が命中したことで大浸水が発生、これが沈没の直接原因とされている。
他の被弾箇所は一度は防水処置をしたものの、その後の魚雷の命中により全部浸水してしまった。
武蔵の戦闘記録は第一艦橋が全滅したこともあり、不明な点が多く、現在でも謎が多い。当初、伝えられていた武蔵の沈没地点は2つあったが、そのどちらでも武蔵は発見されなかった。
多くの憶測が飛び交ったが、長年に渡り武蔵の船体を見つけられなかった。それだけに、ポール・アレン氏のこの発表は世界的に注目をされているのである。
まとめ
武蔵の発見により、不明だった部分の解明が進む可能性も大きく、軍事研究家の間でも非常に注目されている。当時の日本の造船技術は高かったが、戦争などにより多くの資料が失われ、現在では失われた技術とされるほど不明な部分が多い。
2015年3月13日には、アレン氏による公開生中継が配信された。
見逃した人は、ニコニコ生放送にて、日本語同時通訳付きをタイムシフトで見ることも可能だ。
興味のある人は是非、視聴して欲しい。
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