私はブラック企業の社員だと思っていた。
記事の詳細
私はブラック企業の経営者だった
このページの目次
概要
現在は雇用される立場として過酷な労働環境の元働いているが、その昔この筆者もブラック企業の経営者だった、との事だ。特に、社員を解雇していく時の様子は非常にリアリティが溢れている。その非情さも経営者ならではのものだとは思うが、その後解雇された社員達の様は、読んでいて胸がピリピリするようだった。
最後に、ブラック企業を経営していた身で、現在のブラック企業での待遇に対して異を唱える資格は自分にはない、と筆者は言っている。
ブラック企業は何故生まれるのか。
この記事でも述べているように、日本の企業では経営者と同じような思想・感情の共有を強要される。米国では、契約に近い。雇用契約の内容に基づいたリソースを会社に提供して、その対価として報酬を受け取る。
私も以前ブラック企業で働いていた
私は以前ブラック企業で働いていた。「会社のために一丸とならないとアカン」と経営者は言うが、会社を経営している立場と雇用されている一社員とが全く同じような思想やビジョンを持つ事は、至極難しい事である。それは、決して不可能とまでは言わないが、経営が困難になった際にいきなりこんな事を言われても?マークが浮かび上がるだけだ。
確かに、自分が会社を経営していて、愛して止まないその会社が経営難になれば、何かに責任を押し付けたくなる。仮にその経営者の手腕に問題があったとしても、経営不振の責任は時に社員に向く。
そして、更に労働環境が悪くなる。「お前らがもっと働けば良い」というような結論に至るからだ。
これこそ負のスパイラルだと思うが、もちろんこの段階で会社を辞める事も出来るはずだ。
結論を言うと、私はその状況に耐える事が出来なかった。その経営者の手腕が確かなモノだったと辞めた今でも思う事は出来ないが、辞めなかった人もいるのが現実としてある。だから、辞めた事が必ずしも正解だとは言わない。自分の忍耐力の問題もあったと思う。今の私はフリーランスで、いくら最低レベルの給料とは言え、現状よりは生活は保障されていたように思う。(少なくとも今よりは)
辞めなかった側の人間を見てみると、家庭があって守るべきものがある人や、我が強くない人が多かったように思う。
このような属性は忍耐力を構成する100あるうちの1つの成分だと私は考えている。
以前、堀江貴文氏がこのような事を言っていた。
ブラック企業で働くのが嫌だったら起業すればいいのに、と。
私はこの時すでにフリーランスで働いていたが、まさしくこの通りだと思った。自分がそれを選択した側の人間だからだ。
しかし、この記事を読んでブラック企業について再び考えた。
ブラック企業とは言え、最低レベルの生活が保障されているのであれば、起業はもう少し考えた方が良いと。
起業をするのは大変だ。いや、起業は簡単だが食い続けていくのは大変だ。どんなにブラック企業の経営者であっても、よっぽどの借入がなく会社が存続しているのであれば、そこのラインはクリアしているという事になる。
まとめ
もし、あなたが今ブラック企業で働いているのであれば、あなたの会社の経営者を今一度見つめ直してみてほしい。辞めた今でも後悔はないが、フリーランスで食べ続けていく事が大変だと実感している今、あのブラック企業の経営者に賛辞の言葉を贈りたい。(好きか嫌いかは別にして。)
それでも辞めるという選択肢を選ぶのであれば、自分の責任でそうすると良いでしょう。